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コラム イギリスは面白い - Column

画像:イメージ

 同じゲルマン人ではあるものの、ヴァイキングと称されたデーン人の侵攻を押しとどめたサクソン人のアフルレッド大王であったが、やはりデーン人の侵攻力は強く、アルフレッド大王の死後1016年~1042年迄、デーン人のイギリス支配が続いた。
 1035年に、やり手だったクヌート王が死ぬと、1042年にはサクソン人支配が復活した。エドワード「証誓王」の時代である。彼の父親は、サクソン王エセルレッド二世であるから、サクソン人によるイングランド支配の復活という表現は、まことに正しいのであるが、たいして有能ではなかったエドワードが何故やり手だったデーン人の王達の跡に国王につけたのか?母親のエマがクヌート王と再婚していたからである。

→ 右画像(左:エドマンド殉教王(Edmund the Martyr) 右:エドワード王 
『ウィルトン・ディプティク(The Wilton Diptych)』c.1395–99:作者不明)


 エマは「ノルマンの宝石」ともうたわれた絶世の美女であった。1016年にサクソン王エセルレッド二世が死ぬと、時のイングランド国王クヌートは、エセルレッド二世の妃であったエマと結婚したのだった。
 ところがエドワードは、二度目の父親である粗野なクヌートが嫌いだった。その為、母親の故郷である大陸ノルマンディーに逃れて幼年時代を過ごしたが、彼の信心深さは、この時に養われた。ノルマンディーで修道士となっていたのである。
 母がクヌート王と結婚してくれていたお蔭でイングランド王になれたエドワードが残した功績は、ロンドンの西側にあった「西の修道院=West Minster」をWest Minster Abbyとよばれる程に立派に修復したことである。以降今日迄「ウェストミンスター寺院」は、王室の菩提寺となっていて、多くの国王、王妃が眠っている。修道士に迄なっていたエドワード王は、キリスト教の保護に大変熱心であったから、エドワード「証誓王」と呼ばれている。

 「ノルマンの宝石」とよばれた母の故郷で過ごした日々は、エドワードと又従弟ノルマンディー公ウィリアムの関係を密接なものにした。エドワード「証誓王」は、自分がイングランド王になったら、次のイングランド国王の座をウィリアムに譲ることを約束していた。こうやってエドワード「証誓王」の後に「ノルマン・コンクエスト」(Norman Conquest)とよばれて、ノルマン人の国王が誕生することになったのである。 ウィリアム一世のノルマン王朝の始まりである。

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